わが国の木版画の歴史は極めて古く、
およそ1200年前に木版を利用して
衣服の文様をあらわした蛮絵が正倉院に所蔵されています。
またこの頃に百万塔陀羅尼文(ひゃくまんとうだらにもん)も
木版で製作されています。
木版画が一般に普及しはじめたのは、
江戸時代に入って菱川師信が浮世絵を製作しときからで、
この段階で、下絵を書く絵師、これを版木に彫る彫師、
紙に摺る摺り師の分業体制が確立しました。
当時の版画は墨一色の簡単なものでしたが、
その後、丹(朱色)を手で彩色する丹絵という方法が考案され、
次第に複雑な色を着色するようになり、
享保頃から漆絵あるいは紅絵(べにえ)と称する
美しい手彩色版画が市場に売り出されました。
寛保末頃、紅と緑の2色で色を摺る方法が開発され、
紅摺り絵といわれました。
明和2年(1765)、鈴木春信によって
錦絵という形式が開発され、
従来2ないし3色であった色彩は10色以上となり、
木版画の技術面は最高水準を極めました。
木版画の技術は、その後、
歌麿や写楽の写実的で精緻な表現技法の確立にいたって
完成の域に達し、
江戸時代末期の北斎、広重の風景画も
木版画の色彩美を遺憾なく発揮しています。
浮世絵版画は、絵師、彫師、摺師が一体となって
その美的表現を示すものです。
絵師は原画を薄い和紙に墨一色で描き、
彫師が原画を貼った板に(通常桜材)に小刀で、
(この場合、色板は一色につき一枚を必要とする)彫り、
摺師がばれんで紙の背面より力を入れてこすって仕上げます。
尚、現在一人ですべての工程を行う
創作版画は伝統工芸に含まれていません。
|