中国・唐の時代に生まれたといわれる表具が、
遣唐使などの手により日本にもたらされて千年余り、
生活用式や建築様式の移り変わりとともに、
室町から桃山、江戸時代にかけての茶道の隆盛とも
深く関わりながら磨かれ、わが国独特のものとなってきました。
表具の技術は、
まず神社や寺が集中する京都で発達しました。
経典・仏画などの表装に対する需要が多かったためでしょう。
当時、職人は一般に経師と呼ばれていたようで、
時代を経るにつれて仕事の内容も多様になり、
江戸時代には私たちが目にする掛軸、屏風、襖なども扱うようになり
経師と表具師の区別はなくなってきました。
元禄期(1688−1704)には、
大名の江戸屋敷増築にともなってお抱え職人が江戸に出てきて定着したこと、
町人文化が花開き、
書画が一般書民にも身近なものになったことなどを背景に、
江戸表具がさかんになりました。
明治に入ると状況は一転、
伝統破壊の風潮の中で表具は低迷し、
大正から昭和にかけて需要は増えたものの、
戦後、業界は再び打撃を受け、
現在は、あらたな道を模索しつつあるところです。
材料は各種の和紙、裂地等、水、糊と単純ですが、
それだけに細やかな紙の扱いや刷毛さばきには
永年の修練が必要。
”水と刷毛による芸術”と呼ばれるゆえんです。
名人・上手の記録に残る名前はたいへん少なく、
表具師はあくまで舞台裏に徹していたことがうかがえるのです。
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